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祖母山麓トレッキングルート

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山々を望む修験の山、緩木山・越敷岳

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大分と宮崎の県境に連なる祖母・傾山系は、主峰の祖母山や傾山の他にも多数の名山が連なります。それらをどうつないで歩くのか、ルートを描くのもこの山域の魅力の一つです。今回は、祖母山の北西に連なる緩木山と越敷岳を周回するルートをご紹介します。

山城跡である緩木山からは間近に祖母山を、越敷岳へ向かう縦走路では正面に阿蘇山を、山から山を望める気持ちのいい周回ルートです。修験の山でもあり、山中では修験道の名残を見ることもできます。展望と歴史を感じる山歩きを楽しんでみましょう。

大木に囲まれた緩木神社をスタート

緩木城の鎮守でもあった緩木神社。杉の巨木に囲まれ苔むした静かな空間が広がります

緩木山と越敷岳の登山口の少し手前には、かつて緩木山の山中にあったという緩木神社があります。景行天皇が土蜘蛛征伐のさいに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀ったとされ、苔むした雰囲気のある古い神社です。登山口までは歩いて10分ほど。せっかくなのでお参りをしてここから出発することにしました。

誰もいない神社に、こんこんと流れるお手水の水。これも祖母山麓らしさ
神社の周囲は、ファインダーには収めきれないくらいの大きな古い杉が立ち並びます

緩木神社は、福岡県にある日本三大修験山の一つに数えられる英彦山とも深い関わりがあります。英彦山の高僧覺満が、緩木山で修行中に英彦山権現の化身である鷹を見たことから、英彦山の祭神である天之忍穂耳命(あめのおしほほみのみこと)も祀られています。では、英彦山のお坊さんも修行をしていたという山に入ってみましょう。

どちらから登るか?悩ましい菱形ルート

越敷岳・緩木山の登山案内板の前に登山届BOXと駐車場があります。登山届を記入して入山しましょう

登山口は神社からすぐの場所にあります。周回ルートの場合、右と左どちらから回るか迷いますが、今回は緩木山から登り、修験道の見どころが点在する越敷岳へと縦走する左回りを取ることにしました。道は登山口のすぐ先で、緩木山と越敷岳への二手に分かれます。

林道沿いには椎茸がぎっしりと生えた原木が。大分県の干し椎茸は、日本一の生産量を誇ります
登山口のすぐ先のT字路で、緩木山と越敷岳の道に分かれます

戦国の世に翻弄された緩木山

森の中にひっそりと佇む供養塔。こんな静かな山里にも戦国の世は確かにあったのだと、いにしえに思いをはせます

上り始めは植林帯の間を進みます。登山口から1時間ほどで五輪塔と展望所への分岐に出ました。この五輪塔は、1584(天正12)年、大友宗麟による神社仏閣焼き討ちの際に巻き込まれた地元の武将を供養するもの。尾根の先は、武将達が故郷を見下ろせるようにここに供養塔が建てられたかのような展望所となっていました。遠くにくじゅう連山も望めます。

標高1046mの場所にある緩木神社の元宮。今は大正時代に建てられた石の祠があります

元の道に戻り少し進むと、緩木神社の元宮の分岐にでました。かつてはこの場所に社殿がありましたが、1584(天正12)年の大友宗麟による寺社仏閣の焼き討ち、1586(天正14)年の薩摩軍の侵攻と、二度にわたり破壊されました。その後再興されますが、登拝路の厳さと冬季の祭典が困難だったため、1694(元禄7)年に現在の地に移されたそうです。登山口からは1時間ちょっと。昔の人々は、そのさらに下の山麓からお参りしていたと思うと、信仰心の深さを伺い知れます。

山城跡である緩木山山頂。ブナやミズナラの木々に囲まれ、樹間から祖母山を望める気持ちのいい場所

徐々に周囲は明るい自然林となり、ほどなくして緩木山山頂に到着。山頂にはかつて緩木城がありました。平清盛の長男である平重盛が豊前豊後の領主だった際に築城され、家臣の中尾氏に守らせたことが始まりとされます。その後、大友氏に攻められた入田氏が詰城とします。今では木々に囲まれていますが、樹間からは間近に祖母山を望むことができます。

山を眺める山登り

緩木山山頂の樹間から見える祖母山
右は大障子岩、左は前障子。祖母山からの縦走路を目でなぞることができます
紅葉に包まれる縦走路は、春にはアケボノツツジ、シャクナゲ、ミツバツツジなどの花道となります

戦国の世に翻弄された山を抜けると、ご褒美のような気持ちのいい稜線歩きが待っていました。見え隠れする祖母山の姿を確認しながら尾根道を進みます。山腹にはシャクナゲの木も多く見られました。修験の山ではシャクナゲをよく見かけます。

修験者は峰入り修行に入る際、シャクナゲを献木していたと英彦山で聞いたことがあります。もしかしたらこのシャクナゲも、英彦山の修験者が持ち込んだものかもしれない。そう想像しながら歩くと、道は英彦山まで続いているようにも感じられます。修験の山歩きの楽しさは、縦横無尽に山の中を歩いていた修験者の姿を想像しながら歩けるところにもあります。私たち登山者は、さながら現代の修験者なのかもしれません。

稜線から、手前には目指す越敷岳、その奥に阿蘇五岳を望みます
越敷岳手前の稜線から見えるのは赤川浦岳でしょうか?山座同定も悩ましい大展望が広がります

祖母山への縦走路と交わる三差路に出ると、その先は一気に視界が広がります。このルートで最も標高が高い地点は、実は山頂ではなくこの三差路。ここまで来れば、小さなアップダウンはあるものの、急登は山頂直下くらいです。あの山は何だろうと、山々の山座同定を楽しみながらのんびり進みます。眼の前には越敷岳、その奥にギザギザの稜線が目印の根子岳と阿蘇の山々。そして祖母山はだんだん小さくなっていきます。この稜線が、熊本県と大分県の県境だと実感できる景色です。

修験道の名残を巡る越敷岳

大岩の上に左右から回り込むように上がると、小さな祠のある越敷岳山頂へ
山頂をなす岩の下は「山賊岩屋」と呼ばれる窟となっています。ここでも修行が行われていたのでしょうか

下山路の道標を通り過ぎ、目の前に見上げるような巨岩がでてきたら越敷岳の山頂はもうすぐ。岩をまくようにして、左右のどちらからでも登ることができます。山頂の真下には修行に使われていたと思われる「山賊岩屋」という大きな窟があります。大岩を登れば山頂です。山頂には、岩の大きさとは対照的な小さな祠がひっそりと建っていました。上りとは反対方向へ下ると、御神水の滴る岩屋が。ここがお手水だったのでしょうか? 身を清めて上りたい方はお手水を通る右回りをおすすめします。

山頂直下には知恵を授かる水と伝わる御神水が湧いています。緩木山の開祖、永寿法印が修行で使ったそうです

下山路の分岐まで戻り帰路へ。途中で道は、「御聖堂」という行場へ行く道と、「挟み岩」へ行く道に分かれます。どちらへ立ち寄っても戻れる距離なので立ち寄ってみましょう。

修験道の山では、「挟み岩」のような岩の切れ目や、岩窟の間の細い穴を通り抜ける修行を「胎内くぐり」といい、新しい自分に生まれ変わる疑死再生を体現していたといわれます。荷物を下ろしてやっと通れるほどの隙間をドキドキしながらくぐり抜けます。生まれ変われることを祈りつつ…。明神の滝や、仙人枕岩などを経て、緩木神社に戻って来た頃にはすっかり夕方になっていました。

修験道の行場であったと思われる挟み岩。看板によると、親不孝者は挟まれて通れなくなり、カップルで通ると幸せになれるとか…?
越敷岳に住む仙人が枕にして寝ていたと伝わる「仙人枕」は、約1500万年前の噴火で噴出した流紋岩
下山後、無事戻って来れたことを報告しに緩木神社へ立ち寄ります

祖母・傾山系は、深い渓谷や切り立った岩峰、原生林を有しながらも、「自然と人間社会の共生」が実現できている地域として2017年にユネスコエコパークに登録されました。

それは今に始まったことではなく、はるか昔から人々は、生活の糧を得るため、祈りを捧げるため、領土を守るため、霊力を得るためにこの深い山に入っていました。この山域の魅力は、大自然だけでなく、先人たちの足跡を歩きながら見て感じられるところにもあるのかもしれません。いにしえに思いをはせながら、タイムスリップ登山してみませんか?


緩木山(1046m)、越敷岳(1061m)

単純標高差 約600m

山行時間 約5時間

駐車場

緩木神社前

https://maps.app.goo.gl/1hCW9W7HDkFyzkdHA

大規模林道沿駐車場

https://maps.app.goo.gl/G4P8mF9hyF6fF9QR7

[ガイドツアー問い合わせ先]

竹田市観光ツーリズム協会

0974-63-0585

[大分県竹田市の宿泊、観光情報サイト]

たけ旅 

https://taketa.guide/

text:Naho Yonemura

photograph:Tomokazu Murakami

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