アマゴになった青年
祖母山の山麓をインタープリターのガイドで歩くことに。集合場所に現れたのは、神原渓谷に古来から生息する渓流魚、アマゴの被り物をした青年。大分県竹田市の地域おこし協力隊の黒阪旅人さんでした。魚が山を案内…? そんな心配をよそに、雨がシトシト降る中、アマゴのガイドは水を得て饒舌になっていくのでした。アマゴガイドさんとの山歩きやいかに。
黒阪旅人
くろさか・たびと 1993(平成5年)年生まれ。竹田市出身。竹田市の地域おこし協力隊。玩具メーカー勤務時代の経験を生かし、ものづくりを基軸とした活動を行う。竹田高校山岳部の出身で、外部指導員も務める。趣味は渓流釣り。インタープリターのツアーでは、祖母山の神原渓谷に生息する天然アマゴに着目し、川から山を知るツアーを企画。
レッツ!アマゴー!
出発前、黒阪さんはアイパッドを取り出し、祖母山の位置を説明してくれた。といっても、ここは大分県の○○に位置する○○にあり、というようなものではない。グーグルアースで映し出されたのは、宇宙に浮かぶ地球。そこから今立っている場所がググッとフォーカスされる。私たちは今、地球の上に立っているのだと認識させられるところから山登りは始まった。今日のコースでは、神原登山口の少し下の一合目の滝から五合目小屋までの道を歩く。
一合目の滝では、滝壺の中を泳ぐアマゴの姿を見られることもあるという。滝から上は禁漁・禁放流区となっており、古来からこの川に生息する天然アマゴたちのエリアだ。このように養殖魚と交配していない在来個体群は絶滅の危機にある。「この滝の上には、アマゴたちのユートピアが広がっています」と黒阪さん。今日のような雨天時は、川の流れが増すことで餌が流れてくるため、アマゴの動きが活発になるそうだ。濁った水が鳥などの外的から身を守ってくれ、警戒心も薄れる。
黒阪さんの、一見ふざけて見える魚の被り物には訳がある。冬はアマゴの姿を見つけづらくなる。そんな時、自らアマゴとなり、その姿を知ってもらおうという思いから自作した被り物。さかなクンぐらい真剣なのだ。
時折、透き通った美しい声がこだまする。声の主はミソサザイ。ミソとは川のことを指し、その名は、川にいる些細な生き物というなんともはかなげな意味がある。可愛い声と小さな体に反し、繁殖期になると巣の周囲で激しくさえずり、メスを薄暗い巣に呼び込むという。鳴き声の最後が特に響き渡るのは、メスを誘う必死さからというのは黒阪さん談。その後も、山の年齢、成り立ち、岩の名前など、クイズ形式で山の説明がなされ、楽しみながら山のことを知れる。川、岩、鳥、木、花、ここは自然のテーマパークだと黒阪さんは言う。
自然とともに生きるということ
クイズに答えながら歩いていると、あっという間に折り返し地点の五合目避難小屋に到着した。薄暗い小屋の中から見る外の緑は、まるで壁に飾られた絵画のように美しい。黒阪さんのザックから、ザックと同じくらい大きなタッパーが出てきた。その中に、バーナーや、カップ、コーヒー、サンドイッチが入っている。このパッキング方法は山岳部の伝統で、準備がしやすいうえに、型崩れもなく防水性も保て、ザックを2気室のように使えて便利なのだという。
竹田高校山岳部出身の黒阪さん。現在は部の外部指導員も務める。大会に出場するために必要な技術的指導と、山の楽しさを知って欲しい気持ちとの狭間で葛藤もあるようだ。バーナーでお湯を沸かしドリップしてもらったコーヒーを飲んで一休みし、再び歩き出した。
下りは小屋の裏手を回り、渓谷を徒渉する。歩き始めて少しすると、黒阪さんが小屋を振り返り、山中に残る石垣を指差した。「あの石垣は何のためのものでしょう?」。苔むした森の中に、綺麗に積まれた石垣が隠れている。それは、“木馬道”という、切り出した木材を山から下ろすために作られた道だった。ソリに木材を乗せ、人力で下ろしていたのだという。“木馬”というからには、馬にソリを引かせたのだと思われるが、ここでいう馬とはソリのことを指すらしい。この急な山道を人力のみで運んでいたのだ。祖母山はユネスコエコパークに登録されている。それは、人と自然が共生している証。その証を探しながら歩くのも、この山の楽しみ方の一つ。
下山路は、間近に渓谷を眺めながら下りていく。途中、御社の滝に立ち寄る。別名、魚止まりの滝。滝が壁となり、これ以上アマゴが遡上できないというわけだ。神原渓谷にはいくつも滝があり、滝によって隔てられた場所ではアマゴのDNAがわずかに違うらしい。滝に近づき、目を凝らして水面を睨む。「できるだけ姿勢を低くして魚に見つからないように」。黒阪さんが魚の見つけ方を伝授してくれる。魚に見られているなんてこれまで考えたこともなかった。魚の視界は160度。その視界に入らないようにするのがコツなのだとか。
その先では、炭焼き釜の跡を見つけた。よく見ると、真っ黒な炭が転がっている。炭を手にすると、タイムスリップしたかのように、森に埋れた炭焼き窯が浮き立って見えた。黒阪さんが、自分で描いたという絵を見せてくれた。そこには、森に点在する炭焼き窯に火が入り、夜景のように輝いていた。人の生活様式が変われば、同時に森も変わっていく。それは自然なことのように思えた。
対してそのすぐ側には、アマゴのDNAを守るために禁漁区とされた渓谷がある。これは自然なことなのだろうか?そこまでして種を守る意義が正直分からなかったが、「禁漁区のアマゴは、動くタイムカプセル」と黒阪さんは言う。DNAは、ひとつの配列が変わるのに2万年ほどかかる。もし、アマゴのDNAが突然変異するようなことがあれば、体の素性を変えるほどの環境変化があったのではと読み解くことができる。
地層が土地の成り立ちを語るように、固有種は土地の歴史を語ってくれる。祖母山の年齢は1500万歳。想像もつかない年月をこの場所で保っていた種が失われるのは一瞬だと黒阪さん。「その希少さを一瞬で失わせる怖さを人間は持っています。ずっと変わっていないものは大事にしないといけない。その変化に敏感になっておかないといけない」
夢を追い関東へ、憧れを追いフランスへ、やっぱりふるさと竹田へ
下山後、学ぶだけではなく、食べてみようということで、養殖のアマゴが食べられる山麓の料亭「命水苑」へ。敷地内に養殖場があり、ニジマス、鯉、アマゴが泳ぐ。竹田は名水百選にも選ばれるほどの湧水地。店の近くには河宇田湧水があり、湧水で育てられた新鮮な川魚をいただける。つい先ほどまで、川で泳ぐ姿を探していたアマゴの唐揚げを、頭からガブリとおいしくいただいた。
食事をしながら、黒阪さんがインタープリターになったきっかけを聞いてみると、祖母山麓エリア再生プロジェクトのインタープリターの養成講座を受講したことがきっかけだった。
「参加してみて、軽いノリで申し込んでしまったことを少し後悔しました」。黒阪さんが思っていた以上にスパルタだった講座は、全3回の講義があり、座学を経て独自のツアーコースを組み立て発表、その後改善を重ね、最後はモニターツアーを行う。テーマを決める際、情熱を持って取り組めるのは、自分が好きな釣りや魚だと思った。
そこで、祖母山山麓の神原渓谷に生息する天然のアマゴに着目する。祖母山の天然アマゴに関する生態の論文を読み、理解できなかったことは、大学の先生に電話で教えを請うた。水族館のうみたまごにも問い合わせた。その頃、図書館にはいつも黒阪さんの姿があったという。
最終試験の直前、ツアー内容に行き詰まった黒阪さんは、飛躍した方法を取る。「一旦、完全にアマゴになろうと思って、沢に入って頂上まで登ってみました。遡上ですね。あの時は完全に狂ってましたね。でも考えてみたら僕らも最初は魚だったんですよ」と笑う。
このストイックさはどこから来ているのだろう?
前職は、アウトドアとは全く畑違いの玩具メーカーに勤務していた。大学では機械工学を学び、大学院では認知症予防のための会話ロボットを開発した。ものづくりを志して大学院まで進み、玩具メーカーに就職。一見、夢を叶えたかのように見えるが、関東の大学へ進学したのには、別の理由があった。B’zの稲葉さんを目指していたのだ。
親には東京の大学へ行きたいと伝え、大学入学後にはB’zが所属するレーベルのボーカルスクールに入校。2年通い、オーディションなども受けたが、講師に、「お前はロックよりも、ファンキーモンキーベイビーズの路線でいけ」と言われやる気を失っていく。
夢を断たれた黒阪さんは、フランスへ旅立つ。B’zの稲葉さんの次に興味のあった、巨大なロボットを作りパフォーマンスをしている工房「ラ・マシン」を訪ねた。その後、工房への思いは興味だけにとどまらず、翌年には履歴書を持って再訪。現地の大学に通いながら、工房に忍び込めないかと考えた。しかし、海鮮居酒屋でのバイト経験に目を止められ、「寿司は握れるか?」と聞かれるも、寿司じゃなくロボットが作りたいという気持ちに嘘をつけずそれまで。もし、「握れます!」と答えていれば、今頃フランス在住だったかもしれないと当時を振り返る。嘘のような本当の話。
大学を卒業し、玩具メーカーに就職。人気の玩具シリーズのプロデュースも手掛け、順調にキャリアアップし昇格試験を受けることに。同時に、ずっとこのままここにいていいのかと考えるようになる。大学時代の帰省時に感じた、故郷竹田のことも頭にあった。当時は、竹田市に移住者が増えてきた時期。そこには、自分が竹田にいた時にはなかった、新しいことにチャレンジする活気づいた街があった。
そんな時、竹田市の地域おこし協力隊の募集を目にして応募。昇格試験と協力隊のどちらにも合格したが、いつかは竹田に帰りたいとの思いから、協力隊を選んだ。高校の同級生と結婚もして、子育てをする環境としても竹田は魅力的だった。
協力隊では、これまでの経験を生かし、ものづくりを基軸とした活動を行っている。「今後はアウトドアに関するものを作れないかなと思っています。竹を支柱に使ったテントも作ってみました」。黒阪さんのツアーでは、クイズの正解数が多かった参加者にプレゼントがある。祖母山山麓のスギから切り出した、自作のアマゴのキーホルダーだ。ほんのりとスギのいい香りがした。
これまでも何度か神原登山口を利用したことはあった。しかし、先を急ぐあまり、一番いい場所を通り過ぎていたことに気づいた。山を登りに来て、こんなに渓谷に目を向けることはなかったし、魚に目がいくことはなかった。人の案内で山に入るとは、自分の目が、3つにも4つにも増えることなんだと知った。ともすれば登山者は、登山の目的が山頂になってしまうことが多い。その過程の楽しみを深めてくれるのがガイドの役割であり、ツアー登山の魅力だ。川を見ることで山を楽しく深く知ることができた。次に登る時は、もっと川を見つめてみよう。
今回インタビューした、インタープリター黒阪さんのガイドツアーは、祖母山の渓谷に生息する天然アマゴの目線から自然を楽しく学びながら歩くスタイルです。クイズ形式なので、子どももおとなも一緒に参加できるのも魅力のひとつです。
インタープリターとは?
自然と人をつないでくれる役割、それが「インタープリター」です。祖母山麓プロジェクトでは、地域の人材育成のため、インタープリター養成講座を実施。それぞれが個性的で、興味関心のある分野に特化しています。彼らと一緒に歩き、自然に触れるツアーでは、ネットで検索しても探せない、地域特有の情報や文化がいっぱい。本格的な登山装備なしでも、気軽に参加できます。まだ知らない祖母山麓の新しい一面をのぞいてみませんか。
[ガイドツアー問い合わせ先]
◆旅するアマゴ
https://letsamago.studio.site/
◆竹田市観光ツーリズム協会
0974-63-0585
ご予約の際に「祖母山麓エリア再生プロジェクトのホームページを見た」とお伝えください。
[大分県竹田市の宿泊、観光情報サイト]
たけ旅
text:Naho Yonemura / photograph:Tomokazu Murakami