耳をすませば聞こえるよ。山麓の循環。
覚えているでしょうか?道草をしながら帰った小学校時代。専業農家を営むインタープリター、渡辺さんの原体験は通学路にあるといいます。学校は廃校になってしまいましたが、山麓の暮らしを知りたくて通学路だった道を渡辺さんと歩きました。
渡辺智(わたなべ・さとる)さん
1981年(昭和56年)生まれ。幼少期から高校まで祖母山麓で過ごし、高校卒業後、京都の芸術短期大学へ。現在は、祖母山麓で専業農家を営んでいる。自然保護活動や登山道整備、トレッキングガイドなどを行う団体MMS21(mather・mountain・sobo)に所属。農家や林業など里山の知識豊かなインタープリターでもある。
「ずっと、何かを探していました」
集落から山の上にある学校まで、普通に歩けば1時間ほどの帰り道。時に、3時間もかかっていたという通学路には、いったい何があったのでしょう。
渡辺さんが通ったという旧嫗岳小学校は、体験や宿泊などを行う交流施設「あ祖母学舎」として生まれ変わりました。2022年10月1日には週末限定のキャンプ場もオープン。地域の活性化を担う場所になっています。この「あ祖母学舎」から渡辺さんの家まで本当に3時間もかかるのでしょうか?
早速、渡辺さんが何かを発見します。草の生い茂る土手に上がっていきます。見つけたのは「アケビ」。歩き出して10分。もう、子どもの時の感覚に戻ったのでしょうか。見つけるスピードも視点も私たちとは少し違うようです。
「目が慣れたらすぐ見つけられるようになりますよ。アケビは秋頃になると見かける自然のおやつですね。皮が開いているので食べごろです。あ、皮は苦いので食べないでくださいね」。
なんとなく聞いたことはあったけど、食べたことはありません。口に入れると、バナナや熟した柿にも似た味ですが、素朴で優しい甘味です。タネは周囲に撒き散らすのが通学路での食べ方だとか。翌年にまた芽が出て食べられるかもしれません。
皮も口に入れてみましたが、強烈な苦さでした。いつまでも口にのこり、悶える姿をみた渡辺さんは、「ギシギシも食べて欲しいな」とニヤリ。
「ギシギシとは、タデ科の多年草のことです。この辺りはどこにでも生えている雑草ですよ」。
「皮をむいて食べてみてください。ふきみたいに柔らかい部分を食べます」。
どうやら渡辺さんがいたずら小僧に戻っているようなので、まずは彼が口にするのを確認します。
恐る恐る口に入れてみると、レモンのような酸っぱさだけど、どこか癖になる酸味です。暑い日にはいいかもしれません。まさに道草です。
※ギシギシは、シュウ酸を含むので、多食常食は避けましょう。また緩下作用があるので妊娠中の方にも向きません。
これもアケビ…?「これは、カラスウリですね。アケビの皮より苦いから食べられません。でもね…これ面白いんですよ〜」とニヤリ。
ちょっと!(カラスウリを投げられた)
割れるとねばねばの中身が散乱するという烏瓜爆弾。人に当たらないギリギリのところを狙うのがおもしろいのだとか。この通学路、まったく油断できません!
ここはかつて、たくさんの子どもたちが遊んでいました。上級生から下級生へ教え合う環境は、子ども同士の学校のようでした。通学路は無くなりましたが、2017年6月にユネスコエコパーク※に認定され、この山麓は緩衝地域に指定されました(自然環境を保護するため都市部と調和するためのクッションのような場所)。
通学路は、毎日が冒険のように刺激的で、色鮮やかだったといいます。
「この場所がそうさせるんでしょうね。これしかないから」。
渡辺さんがそう言うと、「モ〜〜〜」と牛が返事をするように鳴きました。
「もちろん危ないものだってあります。ハチだってそうです。みんながチャンバラをして遊んだ木の棒が「ハゼノキ」で、次の日に全員休んだこともありました。みんなぶつぶつができて寝込んじゃったんです」。
まさにイタズラ小僧の集まり。親となった今では考えられないですよね。そう言いながら、渡辺さんはとても楽しそうです。
蔦に埋もれていたのは今も残る小学校の看板。おはようございます、ありがとうございます、しつれいします、すみません。頭文字を並べたオアシス運動。僕にとってはスしかない子ども時代でしたけどねと笑う。
循環を知るには体感から
楽しかった通学路もそろそろ終わり。峠に差しかかると、一面の稲穂が見渡せました。倉木集落です。渡辺さんはここで家業を継ぎ、専業農家として祖母山麓で暮らしています。子どもの頃は、就農するなんて考えてもいなかったと、当時を振り返ります。
3人兄弟の末っ子で、中学・高校の頃は勉強や部活動に精を出し、兄弟のような仲間たちに囲まれて過ごしました。楽しかった反面、都会への憧れもあり、高校を卒業してからは京都の芸術短期大学に入学します。卒業してからは、定職にはつかず、アルバイトを掛け持ちし、夜は美術学校の同級生たちと過ごす日々。遊びの延長線のようで、楽しい時間だったそうです。
そんな楽しい毎日にも変化が訪れます。実家に帰ってみると、専業農家だった祖父が椎茸栽培を辞めようとしていました。それを引き継ぐのは自然な流れだったそうです。しかし、農業は全くの素人。一念発起で、農業学校に入り直します。同級生は年下ばかりでしたが、これまでと同じように渡辺さんの部屋にはいつも人が集まっていたそうです。通学路での人間関係や感性が役に立ったのかもしれません。今、その能力は農業や林業の中で活かされ、インタープリターのガイドにも繋がっています。
木がしゃべる
椎茸栽培には無駄がないんです。渡辺さんがその理由を教えてくれました。
原木栽培では、クヌギ、コナラ、ミズナラという木の幹を使用します。中でもクヌギはおいしい椎茸作りに欠かせません。
木が紅葉する頃に伐採が始まります。根元だけを残し、幹は切り倒したまま乾燥させ、植菌に適した状態にします。翌年には、切り株からは新しい芽がでます。この「萌芽更新(ぼうがこうしん)」と呼ばれる循環を繰り返すことで健康的な森が常に維持されます。木が大きくなりすぎるのもよくないのです。
「木を切るタイミングは木が教えてくれるんですよ」。
そう言うと、渡辺さんがナタでクヌギに傷をつけ耳をすませます。
「ほう、言ってる言ってる」。
私たちも半信半疑でクヌギに耳をあてると、はっきりと聴こえました。それは、水を吸い上げている音でした。音が長いと、木がたくさん水を吸い上げている状態で、短ければ、吸い上げるのをやめて、紅葉の準備を始める時期なのだそうです。音の長短が伐採の判断基準になります。水を含んだままだと生命力の強いクヌギは生きようとし、春になると芽吹きます。また、椎茸は生命のあるものに宿ません。
「クヌギと椎茸の関係はすごいんですよ」。渡辺さんはしみじみと語ります。
椎茸を栽培し終え朽ちたクヌギは、野菜の苗を育てるのに適した水はけのよい土になります。実際に触ってみるとほんのりあたたかく、いい匂いがしました。いい土には菌の営みが欠かせません。
大分県のクヌギの植林は明治時代から始まり、他の木と違って樹皮が厚いのが特徴です。その厚い樹皮で椎茸が成長すれば、傘に厚みがある椎茸になります。これが大分産の椎茸が美味しい理由です。循環があってのことで、すぐには真似できません。
クヌギと椎茸の関係をみると私たちの営みも祖母山麓の循環の一部のようです。農業も林業も、インタープリターのガイドも、全て繋がっています。
渡辺さんの原体験が育ててくれたもの。それは、人と自然が手を取り合う姿でした。隔たりなく包み込むような祖母山麓の自然は、私たち「子ども」に未来を託しているかのようです。地域の未来へ進む「鍵」はみんな持っています。そして、その扉を開けるのも私たちです。
★ツアー内容
インタープリター渡辺さんのガイドツアーは、祖母山の5合目トレッキングコースで里山の暮らしと祖母山の関係が楽しくわかる内容です。自然との繋がりを感じることで、今まで見ていた世界が違ったものに感じるかもしれません。
ユネスコエコパークとは、自然保護と地域の人々の生活(人間の干渉を含む生態系の保全と経済社会活動)とが両立した持続的な発展を目指しています。
認定地域は、域内の自然の成り立ちや、そこに育まれた歴史文化に対する理解を深めるほか、地域づくりの担い手を育成することが期待されています。
[ガイドツアー問い合わせ先]
竹田市観光ツーリズム協会
0974-63-0585
[大分県竹田市の宿泊、観光情報サイト]
たけ旅
text: Yu Harada
text & photograph: Tomokazu Murakami