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はじまりの物語

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天然物よりも「天然」伝統のエノハ料理

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こんこんと湧き出る名水は、大昔から祖母山麓に生きるものたちを育んできた。深い森も、人も魚も。名水育ちのエノハもそのひとつ。養殖を手がける食事処「命水苑」では、清らかな湧水の中をエノハが優美に泳いでいた。湧水を使ったいけすは、水槽というよりも、自然そのもの。その姿は、天然物よりも「天然」である。そんなことを考えてしまうほどだ。祖母山麓を代表する味覚のはじまりを訪ねてきた

足立徹

あだち・あきら 1973年生まれ、竹田市出身。食事処「命水苑」で生まれ育つ。高校卒業後に地元を離れ、料理の道に進む。10年ほど前に竹田に戻り、命水苑を継ぐ。大型バイクの免許を取得したが、多忙で最近はあまり乗れていない。

かつては当たり前にいた「幻の魚」

命水苑の周囲には、大きさの異なるいけすが十数カ所ある。

豊富な湧水量を誇る河宇田湧水のそばに命水苑が店を構えています。半世紀以上、3代続く老舗飲食店です。店舗の前には大小さまざまな水槽があり、湧水で満たされています。その中をエノハが所狭しと泳いでいました。看板メニューである「エノハ」は九州の方言でアマゴ、ヤマメの総称で、命水苑ではアマゴとほかにニジマスを養殖しています。

「昔は珍しい魚じゃなくて、目の前の川で泳いでたんですよ」

店主の足立徹さんが、命水苑の前を流れる緒方川を見つめながら教えてくれました。徹さんが幼い頃、エノハはどこにでもいる魚でした。いつの間にか、姿を消して「幻の魚」と呼ばれるようになったそうです。

「幻」と称されていますが、命水苑では年間に100万匹を育てています。ここでは幻が現実にあり、日常的に存在しています。

その味はというと、店先からすくってきたエノハをものの数分もしないうちに串を刺して塩焼きに。湯気の上がった身肉を口に入れると、弾力がありながらも、ほくほくとした食感です。ほんのりとした独特の香りが美味しさを増してくれます。川魚と聞いて連想するような臭みはまったく無縁です。

「これがエノハの持つ本来の味です」と徹さん。川魚の味わいは鮮度によって大きく左右されてしまうと言います。「これだけ美味しいんだと、本当の味をもっと知ってもらいたいです」と話します。

エノハの塩焼き。骨まで柔らかく、大きさによってはそのまま食べても気になりません。

1日足りとも休みなし

もちろん、素材の味だけでなく、魚たちを手間をかけて育てているからこそ、おいしくいただくことができます。

命水苑を切り盛りするのは、徹さんと母・冷子さんの2人だけです。早朝から1時間以上かけて餌を与え、魚の状態に異常がないかを見て回ります。

サイズの異なるエノハを見つけると、網ですくって隣の水槽へ。大きさを揃えるためです。塩焼きや唐揚げなど調理法によって適切な大きさでまとめます。

店の営業準備も進めつつ、水槽の掃除にも精を出します。湧水の掛け流しとはいえ、壁面にコケが生えてしまい、水槽内の様子が分かりにくくなるからです。エノハの健康状態を確認するためには、清掃は不可欠です。

命をはぐくみ、頂戴するためには、1日足りとも休むことはできません。

数えきれないほどのエノハ。まだ小さなサイズです。
活きの良さは抜群。湧水育ちだからでしょうか。

絶えず湧き出る水と同じように、エノハは成長し続け、お客さんも足繁く訪れます。休みのない職場ですが、冷子さんは「慣れてしまえば、いつものこと」と涼しい顔です。「嫁いできた頃は今よりも大変でしたよ」と思い出しながら笑います。冬の寒い日に産卵期を迎えたエノハから、卵を取り出す作業があって、と冷子さんが語ります。採卵した「いくら」は、限られた季節の味です。

水の中に浸かって作業するため、水中の方が温かいくらいです。いったん入ってしまうと、今度は出るのがつらくなったそうです。かじかむ手で、エノハの腹に手を添え、親指で絞るようにして卵を取り出します。

「最近はそれほど寒くなることもなくなって、気候が変わったのを感じますよ」

店の裏の里山では、イノシシが増え、取水池の石垣を崩したり、すぐ側までやってくるようになったとも。自然とともに暮らすからこそ、その変化にも敏感なのでしょう。

電器店から料理人に

かつて使っていた手製の道具が店内に飾られています。

命水苑の成り立ちは、戦後に水産試験場として使われていたことに由来します。役目を終えて売りに出された施設を、竹田市内の料亭を営んでいた料理人が購入し、ニジマスの養殖を始めたそうです。ゼロから始めた養殖に試行錯誤しつつ、ニジマス料理を提供する食事処として生まれ変わり、命水苑は歴史を刻み始めました。

繁盛店となった後、初代が老境に差し掛かり、店を譲ることに。血縁関係はありませんでしたが、徹さんの祖父を通じて、父・徹信(てつのぶ)さんが店を継ぐことになりました。当時は電器店を営んでおり、料理人としても、魚の養殖に関してもまったくの素人でした。

初代に教わりながら、徹信さんの修行が始まりました。昭和中期のことです。懇切丁寧に教わることもできず、技は盗めという厳しい修行時代の末、苦労して味と養殖技術を確立させていきました。

「店の裏に隠居していた初代に、料理を持っていくけど、昔の人だから、ここがいいとか、おいしいとは言わなくてね」。

冷子さんが当時を振り返ります。料理の出来が悪ければ、ダメを出されたそうです。何年もそんな生活を続けるうちに、何も言われなくなりました。それが最高の褒め言葉でした。

料理人として太鼓判をもらい、次はエノハの養殖に乗り出しました。エノハが珍しい魚だとテレビを通じてお茶の間に浸透していった時期だったと言います。

気持ちのいい風が抜けていた店内。水車が趣深い。
1分とかからない早技で串を刺し、焼き場へ。
美しいツヤの出ていたニジマス。

試行錯誤する両親を見て育った徹さん。苦労を知っているだけに、生半可な気持ちで家業を継ごうとは思えませんでした。高校卒業後は、実家を離れて大分市内で料理人になりました。

料理の道を進んだことについて「家を離れようと思っていたんですが、結局は同じような道を歩んでいたのかもしれません」と徹さんは明かします。

徹信さんが手をケガしたのを機に、10年ほど前に実家に戻り、命水苑を継ぐことを決めました。

料理を作るだけでなく、養殖も手がけるので、大変な仕事です。だからこそ、やりがいも感じています。1度外に出たからこそ、余計に分かる実感です。

命水苑で使用する水はすべて湧水を使っています。皿洗いや洗濯、飲み水もすべて。だからでしょう。徹さんが県外に出張して宿泊する際に、水に明らかな違いを感じるそうです。

「帰ってきて水を飲むと、この味だなとホッとします」

特別な環境が身近にあると、分かりづらくなります。いったん離れることで、その大切さに気づくことができます。自分にとっては身近でも、誰かにとっては特別なもの。湧水のように、変わらぬ味をこれからも提供し続けていきます。

壁に飾られているのは、近所の園児たちが掴み取りをした時の思い出。
「都会もいいけど、落ち着くのはこっち」と、エノハやニジマスの世話をする冷子さん。

text: Takuya Wakaoka

photograph: Tomokazu Murakami


命水苑(めいすいえん)

美しい渓流にしか生息しないとされる「エノハ」(九州の一部では、アマゴとヤマメの総称)を頂けるお食事処です。名水百選にも選ばれた河宇田湧水の横に位置し、養殖場が併設されているため、活きのいい湧水育ちのエノハが頂けます。オススメは頭から尻尾まで、サクサクと丸ごと味わえる唐揚げです。その他にも、塩焼きや背ごしのほか御膳など様々なメニューもあり、エノハを存分に味わうことができます。

河宇田湧水(かわうだゆうすい)

日本名水百選の1つであり、竹田湧水群の中で最も湧水量が多い水源です。水汲み場が整備されているため汲みやすく、地元の方だけでなく、遠方からもいつも多くの方が利用されています。駐車場やトイレ(障害者用もあり)も備えてあり、立ち寄りやすい場所です。

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