神宿る祖母山をたずねて、信仰の道をたどる
その山の頂(いただき)には神様がいます。いつの頃からか分からないほどの昔から、祖母山は信仰の山として崇められてきました。自然そのものが信仰の対象です。神様を大切にするというのは、自然を畏れ、慈しむということと同義でした。この祖母山麓では今も続いています。山頂を踏んで山を制覇するのではなく、神様に会いに行く。いつもとは違う、そんな山登りをすることで新しい価値観に出会えます。
日本古来の山との接し方
長い長い参道です。一歩ずつゆっくりと踏みしめ、登っていきます。何度か登ったことのある神原登山口からの道のりです。慣れ親しんだ登山道のはずが、神様を訪ねるという目的をもつと、神社でお参りするかのごとく、参道のように思えてきます。
神域である境内に足を踏み入れるように、特別な場所を歩いているわけです。普段よりも意識を働かせているからでしょう。周囲の木々や草花、沢の水がいつもと違って見えました。当たり前のようにある山も、自然も、畏れ、敬う対象です。
その中を通って、神様にごあいさつするために登ります。目指すところは一緒ですが、山頂を踏んで山を制覇するという近代登山とは目的も精神性も異なります。山や自然を畏怖しつつ、恩恵を頂戴して、ともに暮らしてきた日本古来の山との接し方に近いのではないでしょうか。
山を神社に見立てると、登山道の周囲に広がる自然林は「鎮守の森」です。祖母山は、とても豊かな植生を有しています。ブナやミズナラ、ツガ、樹齢が数百年にもなりそうな大樹にも出くわします。ブナやミズナラといった広葉樹の森は、木の実や落ち葉が多くの動植物の糧となり、豊かな水をもはぐくんでくれます。
自然林が手付かずに近い状態で残されているのは、祖母山が神聖な山であり、地域の人にずっと畏怖されてきたからなのでしょう。
霜や風から守ってくれる祖母山
沢の音を聞きながら、ゆるやかな登山道をたどっていると、あっという間に五合目小屋に到着。写真を撮りながらでも40分ほどでした。ここからが本番になります。五合目と名付けられていますが、山頂まで3時間前後かかります。実質的には二、三合目といったところです。しっかり息を整えてから行動を再開します。
ふたたび歩きだしてから、しばらくは傾斜がゆるやかでしたが、標高をあげるにつれて、険しい登りになります。木段が設置されている区間もあります。これがなんだか境内にある石段のよう。階段を踏みしめては、神様のおわす上宮に近づいていることを感じて、キツい登りを乗り切りました。
山頂にあるのは健男霜凝日子神社(たけおしもごおりひこじんじゃ)の「上宮」です。もちろん「下宮」もあります。登る前には、ふもとにある神原地区で参拝してきました。
集落の一角から、240段の石段を登った先に社殿がありました。祖母山の峰を望むことができる高台ですが、もっとも低い位置にあるはずの下宮です。上宮との標高差は1,000m以上になります。
「まつられているのは、農作物を風雪や霜から守ってくれる、天候の守護神です。お宮が山の方向を向いているでしょう」と相馬久則宮司が説明してくれました。たしかにお社は山頂と向き合っていました。
祖母山信仰の起源は定かではありませんが、記述が残されているだけでも下宮が建立した651年には信仰されていたそうです。霜害や強風を防ぐとなると、生活の基盤となる農耕と深く関わる神様です。当時の人たちは、祖母山が風雪から集落を守ってくれることを肌で感じていたのでしょう。現代のような気象学はなくとも、その存在を恐れ敬っていたことは容易に想像できます。
山頂に神様がいるというのは、山に囲まれた地域ならでは。地理的な条件が信仰に影響していると言えます。沖縄では、海のはるか彼方に「ニライカナイ」という理想郷があるとされています。水平線の向こうに神様の世界を信じるのは、海に囲まれた生活だからでしょう。山に囲まれている祖母山の周辺では、意識が垂直方向に向かうのももっともです。自分たちの手の届かない高みに神様を見ているのです。
そして、信仰は今も神楽、獅子舞、白熊、風鎮祭といった神事を通して親しまれています。
厳しい登りを進むのに、2時間近くかかりました。その間はずっと淡々と右足、左足を交互に前に出していきます。最初のうちはアレコレ考えていましたが、息が荒くなり、背中にじんわりと汗がにじむ頃には、歩くことに没頭。いつの間にかキツさや疲れを忘れて無心になり、同じリズムで動くことに集中していました。
不思議なお地蔵さん
気がつくと急登は終わり、国観峠に至ります。なだらかな広場で一休みしていると、赤い衣装をまとったお地蔵さんが目に止まりました。
このお地蔵さんには、言われがあります。祖母・傾・大崩ユネスコエコパークの登録に竹田市職員として尽力した佐伯治さんから聞いた逸話です。
お地蔵さんが置かれたのは、30年ほど前のことです。そのきっかけは、女子中学生の遭難だったと佐伯さんが語り始めました。女子生徒は登山中に行方がわからなくなり、懸命の捜索にも手がかりもないまま、時間だけが過ぎていきます。
わらにもすがる思いで、母親が祈祷師を訪ね、娘の居場所を占ってもらったところ、「まだ生きています。水場のあるところにいます」と告げられ、水場という宣告を信じて捜索したところ、女子中学生を保護することができました。占いに立ち会っていた佐伯さんは発見の知らせを聞き、「身の毛がよだつというか、鳥肌が立ちました」と振り返ります。その後、同じような遭難事案が起きないようにと、登山道の分岐である国観峠にお地蔵さんを安置することになったそうです。
祈りが届いたのか、偶然なのかは分かりません。ですが、その後の30年にわたり、竹田側からの登山者に死亡事故がほとんどないと、佐伯さんは言います。お地蔵さんを見かけ、心の中で安全を祈願するだけでも、自然と気が引き締まります。自分以外の何かを意識するというのも祈ることの効果かもしれません。
山頂でごあいさつ
小休止を済ませて、山頂へ。もう1時間もかかりません。標高1756mのピークは、周囲の山々と比べても一際高く、景観は目を見張るものがあります。それ以上に惹きつけられたのは石造りの祠(ほこら)でした。自分の背丈よりも小さい祠は、雨風にさらされて風化しているのですが、存在感がありました。
その前に立ち、静かに手を合わせてごあいさつ。正直なところ、神様の存在を感じるかというと、ピンと来ません。ただ、はるか昔からこの場所を同じように訪れる人がいること、この山頂をふもとから眺めて祈りを捧げる人がいたことに想いを馳せました。
この山には連綿と続く祈りの歴史と精神性があり、今も残っています。その歴史をたどるようにして、ここまで登ってきました。
今目の前にある景色の背後には、膨大な時間の流れがあります。そう考えると、自分たちのちっぽけさに気付かされました。
自然の中に身を置くというのも同様です。なすすべなく自然に翻弄され、人間のちっぽけさを知ります。ちっぽけだからこそ、小さなことにこだわらないで、なにか目指すものに向かって歩みだそうという気になります。山頂に向かって歩き出すように。
text:Takuya Wakaoka
photograph:Tomokazu Murakami