はじまりと終わりが共存する洞窟
長い、長い時間をかけて、その洞窟は生まれました。場所は二つの地層の境界でした。地層の終わりは新しい地層のはじまりでもあります。境界に生まれた洞窟もまた、はじまりの象徴ではないでしょうか。人間の営みよりも前から存在しつづけ、今も神聖な場所としてまつられる洞窟。この地に刻まれた物語を読むため、学芸員の永田紘樹さんとともに洞窟へと潜ってきました。
永田紘樹
1982(昭和57)年生まれ。熊本市出身。熊本大学大学院自然科学研究科で地質、古生物学を学ぶ(修士)。学芸員として身近な物事と地質学を、ワクワク楽しく繋ぐ普及活動を行っている。「ブラタモリ」、「日本人のおなまえ」などに出演。自分で焙煎までする無類のコーヒー好き。
「奇跡」のような空間
穴森神社の本殿でお参りを済ませて、永田さん、ガイド役の地元住民らと一緒に横から階段を下りました。暗闇がぽっかりと口を開けていました。陽の光が当たらない空間。無明の洞窟です。
人を寄せ付けない純粋な闇に、人は畏れを抱きます。恐怖や不安とともに、神を感じてきたからです。この洞窟も同じように信仰の対象として、崇められてきました。
洞窟の前にある機械に、ガイドが100円玉を2枚入れます。照明のスイッチでした。洞窟内が照らされました。30分きっかり、明かりが灯ります。
限られた時間を生かすために、早速足を踏み入れます。
歩き始めてすぐに下り坂が続いていました。気のせいか湿度が高く、空気が肌にまとわりつきます。
「どうしてこの洞窟ができたのか、不思議じゃないですか?」
永田さんが問いかけます。確かに不思議です。そして、まったく想像もつきません。洞窟のはじまりを紐解いてもらいましょう。
この地に人が住み着くよりもはるか昔、約9万年前のことです。阿蘇山が大規模な噴火を起こしました。火砕流は20km以上離れた穴森神社の周辺まで運ばれ、一帯を埋め尽くしました。
冷えて固まった火山性の地層が洞窟の天井部をつくり、もとあった地層との間に水が流れることで、現在の形に近づいていったそうです。
では、なぜ空洞になったのでしょう。永田さんが仮説を立ててくれました。
「火砕流は、火山灰や軽石が高温で流れてきます。火砕流の中でも、固まるところと固まらないところがあり、熱がこもり圧力がかかった部分は固まり、天井や壁になります。その後、柔らかい部分は水の侵食を受け、洞窟ができたと考えられます」。
9万年前のことを検証することはできませんが、同じように周辺を火砕流が流れたにもかかわらず、洞窟があるのはここだけです。地質、地形、水の流れ、さまざまな条件が重なり、形成されたのは確かです。
「奇跡」と呼ぶのは大袈裟かもしれませんが、自然が見せてくれる神秘に変わりはありません。
水と洞窟
自然の美しさは頭上にも。キラキラと光を放つ天井。水滴が付着していました。そして、よく見ると小さな突起がぶら下がっています。「溶岩鍾乳石ですね」と永田さん。溶岩の成分が溶け出し、長い時間をかけて成長している最中でした。
ほんの数mm、数cmほどの鍾乳石ですが、どれくらいの時間をかけて、成長してきたのでしょう。人間が体験することのできない悠久なる時間の流れです。
人間の暮らしにも、洞窟の誕生にも深く関わりのある水。時に堆積物を押し流し、時に鍾乳石をはぐくんでくれます。水の重要性は直感的に知られていたのでしょう。穴森神社は古くから「池神社」「池の明神」という呼び名であったことからも、水と密接であったことが分かります。
関係性を裏付けるかのような伝説も語り継がれています。水をつかさどる神様の象徴である大蛇にまつわる伝承であり、江戸時代には洞窟から大蛇の骨が見つかったとガイドから説明を受けました。
洞窟は人智のおよばぬ自然の造形。水は身近で生活に不可欠なもの。その二つがあるからこそ、古来の人々が神聖な場所として捉え、今に至るまで守り続けてきたのでしょう。
洞窟を抜けると
「洞窟を奥に行けば、外に抜けることができます」と教わり、歩を進めます。次第に天井は低くなり、背中を丸めないと立てなくなり、やがて膝を折ってしゃがんだまま歩き、ついには四つん這いに。
うっすら汗ばむ頃、前方に光が差してきました。ゆっくりと一歩ずつ近づきます。出口では、地面がきらきらと輝いていました。太陽の光がまばゆく照らすのは、池でした。外に出るには、池に入らねばなりません。
とても狭い最奥の出口から、暗がりの洞窟を抜けました。水によって体を清めるというのは、胎児が母の体内から誕生してくるかのようです。生まれ変わるというと大仰ですが、外に出ると気持ちが一新されていました。
水は地表を流れ、あるいは地中に浸透して、川や湧水となります。この池も同じです。流れる水は同じところに留まることなく、絶えず循環していきます。そして、水のあるところに人の暮らしがつくられ、発展してきました。洞窟をくぐったことで、そうした水の循環や人の営みとのつながりにも触れることができました。
いろいろと考えていたからか、目に映る景色がいつもより鮮やかに感じられました。
穴森神社
平家物語「緒環(おだまき)の章」にも登場する由緒ある社殿と洞窟です。嫗岳大明神(うばだけ)の化身である大蛇が棲んでいたと伝えられる岩窟を神社の御神体としています。また、竹田市のシンボル「岡城」の築城主、緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)はこの大蛇の末裔であるといわれています。穴森神社にある洞窟内の小石ひとつを持ち帰ると子宝に恵まれるといわれ、今では恋と出会いの場所となり多くの参拝者がおとずれます。願いが叶ったら小石をそっと元の洞窟へもどしましょう。言い伝えでは、穴森神社の岩窟と、宇田姫神社(豊後大野市清川村)の御神体である穴とは通じているという説があります。(大分県観光情報より引用)
・住所:〒878-0013 大分県竹田市神原1432番地
・料金:無料
・エリア:嫗岳エリア
・アクセス:豊後竹田駅より車で30分
・ジャンル:神社
お問合せ先
竹田市商工観光課
〒878-0011 大分県竹田市大字会々2250-1
TEL:0974-63-4807